2014年07月

2014年07月08日

冥。

はいはい。

今日はフッズに行く用事が有ったので7月5日(土曜日)に父と叔父が納骨された墓に行ってきました。

知っている人は知っていると思いますが私が育った環境は普通のソレでは無かったので、父とも6年程度しか一緒に暮らしたことがありません。
生まれてから3歳くらいまでと中学1年の3学期から高校1年の2学期くらいまで。
物心ついてから一緒に暮らした3年も半分程度しか会わなかったような気がします。
父が忙しかったり、私が家に帰らなかったりで。

にも関わらず容姿、思考、言動は相当似ていたようで「色々お父さんソックリだね!(笑)」と良く言われました。
本人にそんな自覚は全く無かったのですが。

父に最後に会ったのは祖父良助の葬儀でした。
その後は内地で暮らす父とも会うことは無く、たまに電話でお互いの生存確認をする程度でした。

一昨年の11月に父の奥さんから倒れて意識が無いと夜中に電話が有った時も、
それに続く葬儀も冬の仕事で休めなかった私は「そうかぁ、亡くなったかぁ」と思うものの実感も無く、
父が内地に住むようになってから会うことが極端に減っていた私には、それが現実なのかも良く判っていなかったような気がします。

今回納骨した5日も私は朝から天狗山で開催するダウンヒルレースの試走の管理をしていました。
「無事納まったかなぁ」とか思いつつ。

そして今日藤野聖山園の墓に行き、いつもと変わらぬ墓の前に立ち、 墓誌を見、墓誌の対面に有る石に力無く座り「全ては現実なのだ」とやっと受け入れることが出来ました。
同時に「自分の持ち時間もそんなに残って無いんだなぁ」と。

家の仏壇に有る父の遺影は私の知っている父のイメージとは相当違い、何だか寂しそうな感じです。
常に家族を含めた周囲に虚勢を張り、見下したような視線で威圧していた父とは違い過ぎ、何だか別人の気さえします。
まぁ亡くなる頃には、そういったものが消えた「普通の人」になっていたのかもしれません。

私はその轍は踏まないようにするよ。

と、いうことで。

ではでは。

boshi