2006年09月
結局持ち越し。
はいはい。
結局終わらんかった。
っていうかイヤになって帰ってきたってのが正解かなぁ。
ドナーからペダルとクラッチとフライホイール外してスタート。
旧金太郎号のマフラー外して、フロントのプロペラシャフト外して、トランスファー半分外して何とかミッション降ろした。
トルクコンバーター外して、フライホイール外して(これ厳しかった)分解概ね終了。
フライホイール(マニュアル用)取り付けて、クラッチプレートとカバー取り付けて、ミッションとエンジン合体させたいんだけど入らない。
多分パイロットベアリングとクラッチプレートの位置が上手く合っていないんだと思う。
冶具あればなぁ・・・。
とりあえず、
明日はミッション合体させて足回り関連元に戻して、ペダル交換して、ハーネス(配線)交換したらお終いのはず。
明日は11時頃スタート予定。
夕方までには何とかしたいなぁ・・・。
ではでは。
結局終わらんかった。
っていうかイヤになって帰ってきたってのが正解かなぁ。
ドナーからペダルとクラッチとフライホイール外してスタート。
旧金太郎号のマフラー外して、フロントのプロペラシャフト外して、トランスファー半分外して何とかミッション降ろした。
トルクコンバーター外して、フライホイール外して(これ厳しかった)分解概ね終了。
フライホイール(マニュアル用)取り付けて、クラッチプレートとカバー取り付けて、ミッションとエンジン合体させたいんだけど入らない。
多分パイロットベアリングとクラッチプレートの位置が上手く合っていないんだと思う。
冶具あればなぁ・・・。
とりあえず、
明日はミッション合体させて足回り関連元に戻して、ペダル交換して、ハーネス(配線)交換したらお終いのはず。
明日は11時頃スタート予定。
夕方までには何とかしたいなぁ・・・。
ではでは。
2006年09月21日
懐古趣味。
はいはい。
意外にも筋肉痛にならなかった私。
どうしてかしら?
努力が足りなかったのかしら?
特殊な体質に変化したのかしら?
日頃の行いかしら?
まぁ、地味に風邪気味ですけど(笑)。
で、
私、88年の冬からMTB乗ってます。
最初のバイクはGTのカラコラム。
石のような塗装(グレニト)のモデルでした。
当時の国産がほとんど塗りつぶしだったので「カッコイイ〜!」って思いましたね。
当時、自転車雑誌と言えば・・・
1 サイクルスポーツ(まだ小さかった)
2 ニューサイクリング(まだ少し元気だった)
3 バイシクルクラブ(カッコ良かった。今のBCとはエライ違い)
4 自転車競技マガジン(通称「競マガ」。ベースボールマガジン社で出してた)
くらいでしたねぇ。(もしかしたら「競マガ」はまだ無かったかもしれない)
90年に入ると「MTBバブル」が始まります。
新しいメーカー、新しいBike、新しい技術がドンドン入ってきます。
それにつれて雑誌も増えていきました。
増刊とか特集号とか出てましたね。
んで、
今日の本題「SportsBicycle (スポーツバイシクル)」。
88年に創刊されて92年の末(No.11)まで半年ごとに出ていました。
出版は「山と渓谷社」。
今、私が所有しているのは3、5、6、8、9、10、11の7冊。
地味にヤフオクとかでも探してます。
(誰か持ってたら譲ってください。ヨロシク)
先日もヤフオクで入手しました。
それにある記事が・・・。
「滝野ウィンーミーティング」の記事でした。
しかも初回のやつが見開きで。
「文、写真提供 小野盛秀」だし(笑)。
その記事の一般男子のリザルトに私の名前が!
1位 中島康博
2位 坂口静佳
3位 ちゃちゃき
う〜ん。
スゴイ面子ですなぁ。
中島君は当時まだ大学生だったと思う。
基本的にはロードのライダー。
卒業後、日本鋪道に入って活躍。
ツールド北海道でスプリント賞獲ったこともある。
確かプロになってキナンとかJPCA EZAK名義で走っていたような気もする。
坂口(兄)はたかぼんと同い年。
たかぼんや私と共にオリオン創立時のメンバーだったりする。
DHにのめり込んで内地に移住。
その後自転車店に勤めていたが、昨年帰ってきた。
(ロードで走ってるのは見かけるんだけど、まだ会っていない)
思い出すとこのレース基本的にはダウンヒル。
最初の坂を下りきると概ね平坦。ゴール手前に少しだけ上りがある。
中島君は実力が違い過ぎてブッチギリ。
2位争いは私と坂口君。
坂口君はこの坂で勝負を賭けるために平坦部分では全く前に出なかった(笑)。
私も「ここで千切る事が出来れば絶対2位!」とか思っていたんですが・・・ねぇ。
実力差が無かったんでそのまま坂へ。
後ろで足をためていた坂口君アタック!
私、既に売り切れて終了・・・3位確定。
ちなみにこのレース「独占サイクルスポーツ」って番組で放送された。
地味に録画して今もテープ持ってる(笑)。
面白かったなぁ。
ちなみにこの大会5回くらいやったはず。
3回目くらいからは山の家からスタートして上りきって旧コースって感じだったね。
その頃「某店主」はサイクロン号(ヤマハのモトバイの改造車)に上半身裸&競泳用パンツ(ブーメラン!笑)で走ってました!(爆)
今考えてもイカレテる奴等多かったです。
(私も含む。笑)
ではでは。
意外にも筋肉痛にならなかった私。
どうしてかしら?
努力が足りなかったのかしら?
特殊な体質に変化したのかしら?
日頃の行いかしら?
まぁ、地味に風邪気味ですけど(笑)。
で、
私、88年の冬からMTB乗ってます。
最初のバイクはGTのカラコラム。
石のような塗装(グレニト)のモデルでした。
当時の国産がほとんど塗りつぶしだったので「カッコイイ〜!」って思いましたね。
当時、自転車雑誌と言えば・・・
1 サイクルスポーツ(まだ小さかった)
2 ニューサイクリング(まだ少し元気だった)
3 バイシクルクラブ(カッコ良かった。今のBCとはエライ違い)
4 自転車競技マガジン(通称「競マガ」。ベースボールマガジン社で出してた)
くらいでしたねぇ。(もしかしたら「競マガ」はまだ無かったかもしれない)
90年に入ると「MTBバブル」が始まります。
新しいメーカー、新しいBike、新しい技術がドンドン入ってきます。
それにつれて雑誌も増えていきました。
増刊とか特集号とか出てましたね。
んで、
今日の本題「SportsBicycle (スポーツバイシクル)」。
88年に創刊されて92年の末(No.11)まで半年ごとに出ていました。
出版は「山と渓谷社」。
今、私が所有しているのは3、5、6、8、9、10、11の7冊。
地味にヤフオクとかでも探してます。
(誰か持ってたら譲ってください。ヨロシク)
先日もヤフオクで入手しました。
それにある記事が・・・。
「滝野ウィンーミーティング」の記事でした。
しかも初回のやつが見開きで。
「文、写真提供 小野盛秀」だし(笑)。
その記事の一般男子のリザルトに私の名前が!
1位 中島康博
2位 坂口静佳
3位 ちゃちゃき
う〜ん。
スゴイ面子ですなぁ。
中島君は当時まだ大学生だったと思う。
基本的にはロードのライダー。
卒業後、日本鋪道に入って活躍。
ツールド北海道でスプリント賞獲ったこともある。
確かプロになってキナンとかJPCA EZAK名義で走っていたような気もする。
坂口(兄)はたかぼんと同い年。
たかぼんや私と共にオリオン創立時のメンバーだったりする。
DHにのめり込んで内地に移住。
その後自転車店に勤めていたが、昨年帰ってきた。
(ロードで走ってるのは見かけるんだけど、まだ会っていない)
思い出すとこのレース基本的にはダウンヒル。
最初の坂を下りきると概ね平坦。ゴール手前に少しだけ上りがある。
中島君は実力が違い過ぎてブッチギリ。
2位争いは私と坂口君。
坂口君はこの坂で勝負を賭けるために平坦部分では全く前に出なかった(笑)。
私も「ここで千切る事が出来れば絶対2位!」とか思っていたんですが・・・ねぇ。
実力差が無かったんでそのまま坂へ。
後ろで足をためていた坂口君アタック!
私、既に売り切れて終了・・・3位確定。
ちなみにこのレース「独占サイクルスポーツ」って番組で放送された。
地味に録画して今もテープ持ってる(笑)。
面白かったなぁ。
ちなみにこの大会5回くらいやったはず。
3回目くらいからは山の家からスタートして上りきって旧コースって感じだったね。
その頃「某店主」はサイクロン号(ヤマハのモトバイの改造車)に上半身裸&競泳用パンツ(ブーメラン!笑)で走ってました!(爆)
今考えてもイカレテる奴等多かったです。
(私も含む。笑)
ではでは。